西村幸生公式サイト

資料室

資料のあいだで食い違う点と、確認できたこと

記録公的記録・一次資料 伝聞回想・二次資料 要確認資料間で食い違う、または裏取り前当時の言葉はことばの注、使用した資料は典拠のページにまとめています。

西村幸生について書かれたものは多くありません。そのうえ、生前を知る人の多くがすでに亡くなっています。資料によって記述が異なる事項は、どちらが正しいかを断定せず、両論を並べたうえで、どちらを採るかを記しています。

評伝『初代巨人キラー』と、同時代の記録である『タイガースの生いたち』の全文にあたり、確認できた事項を「解決」と表示しています。

食い違いの整理

満州での所属先解決

評伝の記述が最も具体的で、新京と大連の両方が出てくる理由も説明できます。本サイトでは「はじめ新京の満州電電、のち大連の太陽バルブ」と表記します。

戦死したときの年齢解決

墓石の「行年三十六歳」は数え年です。本サイトでは「満34歳5か月(数え36歳)」と表記します。

関西六大学リーグの連覇の数え方解決

同じ事実の数え方の違いで、矛盾ではありません。1934年は連盟を脱退していたため公式戦がなく、その年も東京六大学の四校と戦って五勝一分でした。

末子との出会い本サイトの採用を明記

年も船も経緯も異なります。本人への直接取材である前者を採ります。なお、二人が三年間文通していたという話が流布していますが、末子は「手紙のやりとりなんかしませんでした」と明確に否定しています。

1938年 年度優勝決定戦 第3戦の勝利投手本サイトの採用を明記

当時の勝利投手の規定は現在と異なりました。一点リードの八回途中で降板しているため、現在のルールなら西村が勝利投手、救援の御園生にセーブがつきます。公式記録に従い、経緯を注記します。

最後に家族が見た姿聞き取りで確認

場所も所作も異なります。ご本人への聞き取りで確認します。

鎮魂の碑に祀られている人数解決

追加合祀により、時期によって公表数が異なります。

これから調べること

確認できたものから、順に確定していきます。新しい資料をご存じの方は、お問い合わせからお知らせください。