西村幸生公式サイト

戦績

日本野球機構(NPB)公式記録による

5521敗
2.01防御率通算
3プロ在籍
4勝1敗対沢村栄治
記録公的記録・一次資料 伝聞回想・二次資料 要確認資料間で食い違う、または裏取り前当時の言葉はことばの注、使用した資料は典拠のページにまとめています。
甲子園球場で投球する西村
甲子園球場で投球する西村撮影したファンから遺族に贈られた1枚

年度別投手成績

記録1937年・1938年は春秋の2シーズン制。

年度登板完投完封勝率投球回奪三振防御率タイトル
1937春199361.750116.2792.24
1937秋25153143.833182.11031.48最多勝・最優秀防御率
1938春19114113.733129.1651.52最優秀防御率
1938秋209290.818137.2582.48
193929119112.550167.1892.41
通算1125521519.724733.13942.01

沢村栄治との対戦

4.108.299.2512.112.7
沢村栄治との直接対決 1937年の五試合黒=西村の負け、白=西村の勝ち

記録二人が勝敗を賭けて投げ合ったのは、1937年の五試合。西村の四勝一敗だった。沢村は1938年から二年の兵役に就いたため、対戦できたのはこの一年だけである。

日付球場結果西村試合
1937.4.10甲子園大阪 3 – 4 巨人西村が延長十二回を投げ抜き十三奪三振。九回に失策から追いつかれ、十二回に力尽きた。
1937.8.29西宮大阪 10 – 5 巨人秋季開幕戦。タイガースが五回に沢村をノックアウト。西村は救援で四回を抑えて勝利投手。
1937.9.25西宮大阪 5 – 2 巨人二人だけで全イニングを投げ抜いた唯一の公式戦。西村は八回に自ら二塁打を放った。
1937.12.1後楽園大阪 4 – 1 巨人年度優勝決定戦第1戦。毎回走者を背負いながら完投。
1937.12.7後楽園大阪 6 – 3 巨人年度優勝決定戦第6戦。初回に四点を奪って完投し、日本一を決めた。

記録このほか、同年11月23日の第1回東西対抗戦(いまのオールスターゲームにあたる)第3戦・甲子園でも先発同士で投げ合い、西村が完投、沢村は打ち込まれて降板した。これを含めると五勝一敗になる。

1937年 年度優勝決定戦

記録年度優勝決定戦は、春と秋のシーズンで別々に優勝が出たときに、その二チームで年間王者を決めた試合である。いまの日本シリーズにあたる。この年は春優勝の巨人と秋優勝の大阪タイガースが、7回戦制で争った。タイガースが4勝2敗で初の日本一。西村は登板した3試合すべてで完投勝利した。決定戦での打撃も12打数4安打・打点3。

試合日付球場結果備考
第1戦12月1日後楽園大阪 4 – 1 巨人西村が完投。沢村と投げ合って勝つ。
第2戦12月2日後楽園大阪 7 – 4 巨人御園生。九回に四点を奪って逆転。
第3戦12月4日甲子園大阪 8 – 2 巨人西村が完投。自身も二安打二打点。
第4戦12月5日甲子園大阪 5 – 6 巨人
第5戦12月6日後楽園大阪 5 – 11 巨人
第6戦12月7日後楽園大阪 6 – 3 巨人西村が完投。初回に沢村から四点を奪い、年度優勝を決める。
大阪タイガース優勝祝賀記念
大阪タイガース優勝祝賀記念昭和12年12月20日。前から2列目左から4人目が西村

1938年 年度優勝決定戦

記録春優勝のタイガースと秋優勝の巨人が対戦し、タイガースが4連勝。西村は第1戦を完投で勝った。

試合日付球場結果備考
第1戦11月26日甲子園大阪 3 – 2 巨人西村が延長十回を完投。二死満塁からの押し出し四球でサヨナラ勝ち。
第2戦11月27日甲子園大阪 5 – 4 巨人
第3戦12月1日後楽園大阪 5 – 3 巨人西村が八回途中まで投げる。勝利投手の記録は御園生。
第4戦12月2日後楽園大阪 4 – 2 巨人若林。四連勝で二年連続の年度優勝。

関西大学時代(1932–1936)

記録西村がいた1930年代前半、日本の野球の中心は学生野球だった。プロ野球はまだ生まれていないか、生まれたばかりで、東京六大学が実力でも人気でも頂点にあった。その時代の見取り図は時代と野球のページに置いている。

関西大学時代
関西大学時代

関西六大学リーグ

記録西村はレギュラーになってから卒業するまでの八シーズンすべてで優勝している。1934年は連盟脱退により公式戦がなかった。

元号シーズン結果備考
1932昭和7春・秋優勝西村は春の京大戦でデビューし完投勝ち
1933昭和8春・秋優勝四季連続優勝。夏に第1回ハワイ遠征
1934昭和9連盟を脱退し公式戦なし京都・関西学生連盟との一元化を主張して否決されたため
1935昭和10春・秋優勝春に連盟へ復帰
1936昭和11春・秋優勝西村は主将。秋は10勝無敗

東京六大学との対戦

記録関西へ遠征してきた東京六大学の各校と、1932年秋から1934年秋にかけて対戦した。1932年11月から翌1月にかけての六試合は「東京六大学撫で斬り」と呼ばれ、東大を除く五校すべてから勝ち星をあげている。1934年秋の六試合は五勝一分。

日付球場相手結果関大備考
1932.11.20寝屋川明治関大 8 – 3遠征第1戦。西村が先発
1932.11.23甲子園立教関大 3 – 1
1932.11.27甲子園慶応関大 6 – 3慶応は投手四人を注ぎ込んだ
1932.12.25甲子園法政関大 1 – 0秋のリーグ優勝校を完封
1933.1.3甲子園慶応関大 0 – 4六校戦唯一の黒星
1933.1.5藤井寺早稲田関大 5 – 4二点を追う展開から八回に三点で再逆転
1934.9.11甲子園慶応関大 8 – 6
1934.10.28寝屋川明治関大 5 – 0
1934.11.3甲子園明治関大 3 – 2西村が完投
1934.11.4甲子園法政関大 3 – 3九回に追いつかれ、西村が救援して延長引き分け
1934.11.18藤井寺早稲田関大 6 – 3
1934.11.23甲子園早稲田関大 7 – 1

伝聞1933年秋にも東京六大学勢と対戦しているが、西村が調子を落としていたこともあり、このときは勝ち越せなかったと伝えられる。個々のスコアは確認できていない。

ハワイ遠征

日程成績備考
1933年(昭和8)6月13日 神戸港出港 – 8月5日 帰国13試合 9勝4敗一年生で参加。現地紙が「西村投手礼讃」の記事を載せた。この船で東末子と出会う。
1936年(昭和11)6月9日 出発23試合 20勝主将として。44日間で打率3割1分6厘、最優秀選手。現地紙は「アイアンマン」と呼んだ。滞在中に婚約が発表された。
第2回ハワイ遠征、ホノルルスタジアム
第2回ハワイ遠征、ホノルルスタジアム昭和11年。2列目右から2人目が西村

タイトルと主な記録