西村幸生公式サイト

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西村幸生にゆかりの場所

記録公的記録・一次資料 伝聞回想・二次資料 要確認資料間で食い違う、または裏取り前当時の言葉はことばの注、使用した資料は典拠のページにまとめています。

いずれも1990年代の姿。胸像は2014年に沢村像と並べて移設された。

喜多や

記録伊勢市駅から外宮へ向かい、外宮の北側を走る道路に面して、うなぎ料理の喜多やがある。伊勢に多い妻入り造りで、間口が狭く奥行が深い。入口の脇に篠竹が植えられ、「孝行鰻」の由来を墨書した木の看板が立つ。このあたりは空襲を免れた。

記録西村家の生家である。幸生の母・なかから受け継がれ、弟の久生が長く主人を務めた。現在は久生の長男で、幸生の甥にあたる西村隆明が営んでいる。

記録大世古の家も、通学した厚生小学校も、宇治山田中学校も、1945年7月の空襲で焼けた。そのなかで、この家は残った。墓も、家も、家業の店も、伊勢にある。

記録妻の末子と四人の娘は、戦後ハワイへ渡った。幸生の家族は、いまも伊勢とハワイの二つの土地で暮らしている。

記録うなぎ料理の店として、いまも営業している(喜多や地図)。

記録久生は生前、西村投手のリーフレットをつくって店の戸口脇に置き、訪ねてくるファンに配っていた。「今でもわざわざここへお見えになる阪神のファンの方がおりましてな。そんな方のために何か一つ差し上げるものをと思いまして」。そのリーフレットには、最後の軍事郵便に本人が記した署名が複写されている。

喜多やは営業中の料理店です。展示施設ではありません。訪ねられる際は、お店の営業のご迷惑にならないようお願いします。