訪ねる
西村幸生にゆかりの場所


いずれも1990年代の姿。胸像は2014年に沢村像と並べて移設された。
- 胸像(沢村栄治像と並ぶ)伊勢市倉田山公園野球場(ダイムスタジアム伊勢)一塁側スタンド脇
沢村像は昭和48年、西村像は昭和50年に建てられ、長く離れて立っていた。2014年3月、球場の改修完成に合わせて向かい合う位置に移された。脇に背番号「14」「19」と「一球入魂」の石碑がある。
- 墓(新墓)伊勢市内。近鉄・JRの線路のすぐ北側
西村家の墓所の一角に建つ。周囲の墓と比べて大きくはない。石碑の正面に戒名「幸岳院悟参球道居士」、側面に「俗名西村幸生 行年三十六歳」と経歴が刻まれている。
- 生誕の地・大世古伊勢市大世古
1910年、この町で生まれた。生まれた家は昭和20年7月の空襲で焼失している。
- 伊勢市立厚生小学校伊勢市
三重県で最初に野球のチームをつくった小学校。木造校舎は空襲で焼失した。
- 船江町公園(宇治山田中学校跡)伊勢市船江町
校舎は空襲で焼失。跡地は市営山田球場、市立総合病院を経て住宅地になり、いま石柱が一本立つ。昭和24年の追悼試合は、この地にあった三重交通山田球場で行われた。
- 西村家の生家(うなぎ 喜多や)伊勢市本町(外宮の北側)
幸生の母・なかから弟・久生へ、いまは久生の長男で幸生の甥にあたる西村隆明へと受け継がれてきた家。うなぎ料理の店として今日も続いている。営業中の料理店であり、展示施設ではない。
- 鎮魂の碑東京ドーム(文京区後楽)
戦没した職業野球選手を祀る。1981年建立、1988年移設。
喜多や
記録伊勢市駅から外宮へ向かい、外宮の北側を走る道路に面して、うなぎ料理の喜多やがある。伊勢に多い妻入り造りで、間口が狭く奥行が深い。入口の脇に篠竹が植えられ、「孝行鰻」の由来を墨書した木の看板が立つ。このあたりは空襲を免れた。
記録西村家の生家である。幸生の母・なかから受け継がれ、弟の久生が長く主人を務めた。現在は久生の長男で、幸生の甥にあたる西村隆明が営んでいる。
記録大世古の家も、通学した厚生小学校も、宇治山田中学校も、1945年7月の空襲で焼けた。そのなかで、この家は残った。墓も、家も、家業の店も、伊勢にある。
記録妻の末子と四人の娘は、戦後ハワイへ渡った。幸生の家族は、いまも伊勢とハワイの二つの土地で暮らしている。
記録うなぎ料理の店として、いまも営業している(喜多や/地図)。
記録久生は生前、西村投手のリーフレットをつくって店の戸口脇に置き、訪ねてくるファンに配っていた。「今でもわざわざここへお見えになる阪神のファンの方がおりましてな。そんな方のために何か一つ差し上げるものをと思いまして」。そのリーフレットには、最後の軍事郵便に本人が記した署名が複写されている。