顕彰

野球殿堂
記録1977年(昭和52)2月2日、特別表彰で野球殿堂入りが決まった。同じ年に殿堂入りした水原茂とともに、7月26日、神宮球場のオールスターゲームで掲額除幕が行われ、ハワイから末子と長女・幸子が参列した。ライバルだった沢村栄治の殿堂入りから、十八年が経っていた。
西村幸生 関西大学野球部黄金時代のエースであり、東京六大学チームを連破して万丈の気を吐いた 大阪タイガースに入団、主戦投手として年度優勝の立役者となり特に沢村投手との対決では多くの名勝負を生んで当時の野球ファンを魅了した わずか3年間のプロ野球生活であったが大きな業績と共に強い印象を残した——殿堂レリーフの銘文

鎮魂の碑
記録戦争で亡くなった職業野球選手を祀る「鎮魂の碑」は1981年(昭和56)4月、旧後楽園球場の脇に建てられ、1988年に東京ドームの現在地へ移された。建立時に69名が祀られ、のちに追加合祀されている。祀られた選手のうち殿堂入りしているのは景浦將、沢村栄治、田部武雄、中河美芳、西村幸生、吉原正喜の6名。
伊勢の胸像
記録沢村栄治の胸像が伊勢市営球場前に建ったのは1973年(昭和48)3月。それを見た宇治山田中学校の同窓生や市内の野球ファンから、西村の像もつくらなければという声が上がった。動いたのは野球部OBの船陵クラブで、世話役は西村と同じ三塁手だった後輩の久保田雅也。名古屋、大阪、東京の同窓生を回って寄付を集め、関西大学校友会は趣旨を聞いて百万円を寄せた。
記録像は1975年(昭和50)3月30日に完成した。曇り空の寒い日で、伊勢市長ほか約二百人が参列し、ハワイから末子と三人の娘、七人の孫が招かれた。除幕はその孫たちの手で行われた。タイガースからは松木謙治郎とカイザー田中義雄が駆けつけている。

記録2014年(平成26)3月10日、球場の全面改修完成に合わせて巨人対阪神のオープン戦が市内で65年ぶりに開かれ、それまで離れて建っていた二つの像が、道路を挟んで向かい合う位置から隣り合わせに移された。この日、巨人の全選手は沢村の「14」を、阪神の全選手は西村の「19」を背負った。式典には西村の長女・津野田ジョイス幸子、沢村の長女・酒井美緒のほか、両球団の代表、三重県知事、伊勢市長が出席した。
追悼試合(1949年)
記録1949年(昭和24)3月30日、旧宇治山田中学の跡地に開場した三重交通山田球場で、西村と沢村の追悼試合として巨人対大阪タイガースのオープン戦が行われた。巨人からは川上哲治、青田昇、藤本英雄、タイガースからは藤村富美男、別当薫、土井垣武らが出場。試合前の記念写真には西村の実弟と、当時6歳の甥・隆明が写っている。
沢村旗・西村旗(1994年)
記録1994年(平成6)3月21日から、伊勢市の少年野球大会で、小学校の部の優勝チームに「沢村旗」、中学校の部に「西村旗」が贈られている。小学校を沢村、中学校を西村としたのは、沢村が明倫小学校まで、西村が宇治山田中学校まで伊勢で学んだことによる。
勲八等白色桐葉章(1968年)
記録1968年(昭和43)10月26日、戦没者叙勲により勲八等白色桐葉章が贈られた。賞状はいま、ハワイの家の、胸像の石膏原型のかたわらに掛けられている。