西村幸生公式サイト

生涯

西暦・元号併記の年表

記録公的記録・一次資料 伝聞回想・二次資料 要確認資料間で食い違う、または裏取り前当時の言葉はことばの注、使用した資料は典拠のページにまとめています。
  1. 1910明治43

    記録11月10日、三重県宇治山田市大世古町(現・伊勢市大世古)に生まれる。父・才吉、母・なかの次男。兄に幸之助、弟に久生。

  2. 1917大正6

    記録宇治山田市立厚生小学校に入学。三重県で最初に野球部をつくった学校で、少年野球がさかんだった。この年、同じ市内に沢村栄治が生まれる。

  3. 1923大正12

    記録三重県立宇治山田中学校に入学。はじめは三塁手。

    宇治山田中学校野球部
    宇治山田中学校野球部大正12年。前列左から3人目が西村
  4. 1926大正15

    記録三年生のとき、強肩を見込まれて投手に転向。早稲田大学の伊丹安広の指導を受ける。

  5. 1928昭和3

    記録三重県大会を四戦すべて大差で勝ち上がる。8月3日、東海大会初戦の愛知一中戦で八回まで4対0とリードしながら、内野手の四失策がからんで4対5の逆転負け。甲子園出場はならなかった。

    宇治山田中学校野球部
    宇治山田中学校野球部昭和3年。後列左から6人目が西村
  6. 1929昭和4

    記録宇治山田中学校を卒業。名古屋の愛知電気鉄道(現・名古屋鉄道)に入り、実業団の鳴海倶楽部で野球を続ける。

  7. 1931昭和6

    記録関西大学予科に入学。中学での留年と社会人二年を経て、同級生より三つ年上の新入生だった。

  8. 1932昭和7

    記録春のリーグ戦、京大戦でデビュー。関西大学が優勝し、以後四シーズン連続優勝。秋から翌年初めにかけて、関西へ遠征した東京六大学の五校すべてを破る。

  9. 1933昭和8

    記録6月13日、神戸港から秩父丸で第1回ハワイ遠征へ。13試合9勝4敗。この船で、ハワイに住む日系二世の東末子と出会う。

    秩父丸で第1回ハワイ遠征へ
    秩父丸で第1回ハワイ遠征へ昭和8年6月、神戸港大阪毎日新聞
  10. 1934昭和9

    記録関西大学が関西六大学野球連盟を脱退。公式戦のないまま、東京六大学の四校と六戦して五勝一分。

  11. 1935昭和10

    記録関西大学が連盟に復帰。この年の暮れ、野球部主将に推される。

  12. 1936昭和11

    記録6月9日、主将として第2回ハワイ遠征へ。44日間で23試合20勝、打率3割1分6厘。現地の新聞は「アイアンマン」と呼んだ。滞在中に東末子との婚約が発表される。秋のリーグ戦も優勝し、レギュラーになってからの八シーズンすべてで優勝した。

    第2回ハワイ遠征、ホノルルスタジアム
    第2回ハワイ遠征、ホノルルスタジアム昭和11年。2列目右から2人目が西村
  13. 1937昭和12

    記録関西大学法学部を卒業し、大阪タイガースに入団。背番号19。4月19日、宇治山田市で結婚。春は9勝3敗。秋は15勝3敗・防御率1.48で最多勝と最優秀防御率。対巨人七戦全勝のうち四勝をあげる。12月の年度優勝決定戦(いまの日本シリーズにあたる)で三勝無敗、チームを初の日本一に導いた。

    結婚式
    結婚式昭和12年4月19日、宇治山田市
  14. 1938昭和13

    記録1月1日、長女・幸子が誕生。春は11勝4敗・防御率1.52で二季連続の最優秀防御率、タイガースは連覇。11月の年度優勝決定戦でも第1戦に完投勝ちし、四連勝で二年連続の日本一。

    尼崎の自宅前で
    尼崎の自宅前で父母、末子、長女・幸子と
  15. 1939昭和14

    記録肩の不調がつづき、11勝9敗。11月12日の対巨人戦が最後の登板となった。年末、契約が切れて退団。29歳。

  16. 1940昭和15

    記録満州へ渡り、新京の満州電電に入る。妻と二人の娘、父・才吉との五人暮らし。

    「大連」のユニフォーム姿
    「大連」のユニフォーム姿満州時代とみられる。年・所属は確認中
  17. 1941昭和16

    記録次女・澄子の重い病を機に、暖かい土地をと大連へ移り、太陽バルブに入社。12月、太平洋戦争が始まる。

  18. 1944昭和19

    記録3月、大連で召集令状を受け取る。台湾を経てフィリピンへ。12月29日付の便りが、家族に届いた最後の手紙となった。

    応召、入隊前に家族で
    応召、入隊前に家族で昭和19年。四女・栄子は末子のお腹の中。この写真は西村に送られたが、本人には届かなかった
  19. 1945昭和20

    記録4月3日、フィリピン・ルソン島南部のバタンガスで戦死。満34歳5か月。7月28日の伊勢空襲で、大世古の家、厚生小学校、宇治山田中学校がすべて焼失した。

  20. 1947昭和22

    記録1月、家族が満州から引き揚げ。熊本を経て伊勢へ移り、戦死の公報を受け取る。白木の箱には「戦死 西村幸生」と書いた紙が一枚入っているだけだった。

  21. 1948昭和23

    記録4月30日、末子と四人の娘がハワイへ渡る。見送った父・才吉は、その一か月後に伊勢で急逝した。

    ハワイに渡った家族
    ハワイに渡った家族昭和25年。左から四女・栄子、三女・洋子、次女・澄子、長女・幸子、末子
  22. 1949昭和24

    記録3月30日、三重交通山田球場で沢村栄治とともに追悼試合(巨人対大阪タイガース)。

  23. 1968昭和43

    記録10月26日、戦没者叙勲により勲八等白色桐葉章。

  24. 1975昭和50

    記録3月30日、伊勢市営球場前に胸像が完成。ハワイから末子と三人の娘、七人の孫が参列した。

    胸像の除幕式
    胸像の除幕式昭和50年3月30日、伊勢市営球場前。ハワイから家族が参加した
  25. 1977昭和52

    記録2月2日、野球殿堂入りが決定(特別表彰)。7月26日、神宮球場で掲額除幕。

    野球殿堂入りの掲額除幕
    野球殿堂入りの掲額除幕昭和52年7月26日、神宮球場。左から長女・幸子、末子、弟・久生
  26. 1981昭和56

    記録戦没した職業野球選手を祀る「鎮魂の碑」が建立され、合祀される。

  27. 1994平成6

    記録3月21日、伊勢市の少年野球大会に「沢村旗」「西村旗」が制定される。

  28. 2010平成22

    記録8月15日、伊勢市営倉田山野球場で生誕100年記念試合(宇治山田高校対京都学園高校)。

  29. 2014平成26

    記録3月10日、球場の改修完成に合わせて巨人対阪神のオープン戦。阪神の全選手が背番号19を着け、胸像が沢村像と並んで移設された。

この年表は、これからも書き足していきます。大世古での暮らし、満州へ渡った経緯、出征の朝の情景、四人の娘それぞれのその後。ご遺族の記憶と、新しく見つかった資料を、確かめながら加えていきます。